恐るべし終活効果!? Twitterとmixiに終わりを告げる日がやってきた 〜前編〜

恐るべし終活効果!? Twitterとmixiに終わりを告げる日がやってきた 〜前編〜

あのイライラは尋常じゃなかったね。

2019年7月、PC版Twitter(以下: 本丸)の仕様変更があった。やー、ビックリした。恐ろしく使い勝手が悪いったら、もう。いわゆる「2カラム(2段)」のレイアウトから「3カラム(3段)」に変わり、疲れがドッと来る仕様となった。

そこだけが変更になったのなら目をつぶることも出来ただろう。しかし、最新ツイートが無いのにバッジが現れたり、タイムライン上でスレッドが行方不明になったり…オカルト的な現象が頻発した。

フォローしている方が「返信した」ツイートが勝手に表示されるのは、返信先となった方にとっても気分が良いものではないし、オイラだってそうなる可能性があるってことじゃないの。寒気が止まらんな、これ。

お蔭で本丸からのツイートは激減したし、他のツイートを検索する気も失せた。オイラはGoogle Chromeを使っているが、これまで本丸を快適にすべく使っていた「アドオン」がことごとく機能しなくなった。

変更以降は、当ブログが更新された時に飛ぶツイートや、別サイトのソーシャルボタンを通じてのツイートが増えた。ただ、全体的に見ればツイート数は従来よりも大幅に少ない。

「習うより慣れろ」「郷に入れば郷に従え」とは言うものの、この状態でTwitterを使うことが得策なのかどうか…。

ここでちょいと考える。アドオンやサードパーティアプリを利用してでもTwitterを続けたいかどうか…今までだったら「うん」と言っていただろうけど、今回に関してはそう言えない気がしてきたな。

サードパーティアプリって本丸の機能を全て網羅するものではない。つまり、機能によっては嫌でも本丸に入らないと使えないものがある。その機能を今も使いたいか…うーん、何か違う気がしてきた。

ここで更に考える。オイラ「終活」に入っているじゃないか。学習の中で「残すべきもの」と「そうでないもの」への言及があった。Twitterはオイラの死後も残って良いものだろうか?

オイラが終活を考える中で、大きなテーマとして考えていたのが「デジタル遺品」である。オイラのツイートに、かつての巻物や書簡などのような価値があるとも思えないし、現に遺品となったものの惨状も目の当たりにした。

殺人事件の被害者でありながら、自身の家庭内暴力などにより家族を追い詰めていた者のツイートを見ると「死人に口無し」と言わんばかりに他者からの罵詈雑言に溢れていた。

何の手も打たなければ、未来永劫漂い続けるのが「デジタル遺品」の特徴のひとつだろう。そう考えると、このイライラはある意味で「転機」とも言えるだろう。うん、一気に吹っ切れた。

そんなこともあって、オイラは持っている2つのTwitterアカウントを終了させようと決断した。元々は1つを2019年8月末に、もう1つを同9月末にと考えていたが、結局のところ両方とも8月末での終了とした。

しかし「デジタル遺品」か…もう1つ、対応に苦慮していたSNSがあったなぁ。これも折角の機会だから考えてみるか。話が長くなってきたので、続きは次回のブログにて。