平成30年7月豪雨災害の惨状を見てオイラが確信したこと

平成30年7月豪雨災害の惨状を見てオイラが確信したこと

今も爪痕が残ったまま。

今回の広島帰省は楽しい楽しい…ばかりでは無かった。広島県は2018年7月に発生した豪雨災害で大きな被害が出た場所だ。災害発生当時、ニュースなどで流れる映像に「何でこうなったんだ!!」と声を荒げたこともあった。

薄情な物言いかも知れないが、惨状を見聞きするごとに、オイラの芯と言うか核となる場所ってものは地元である広島であり、今暮らす場所のことなど暫くは一切気に留めていられない状況になったもんなぁ。

それ故、早く地元に戻りたいと思っていたが、結局ここまで先延ばしになってしまった。ただ、父親には「戻ったところで何が出来るって訳じゃない(位に酷い状況だった)」と諌められた。

同時に、「そちら(オイラ)はそちら(今暮らす場所)で元気でやっていることの方が大事だよ」とも…ありがたくもあり歯痒くもあり。それも正論ではあるが。

そして、ようやくの帰省だ。まだまだ爪痕が残っていることは承知していた。帰省中に父親と出かける機会があったので、そういった地点を案内して貰った。

呉市押込(おしごめ)地区から見た、安芸郡熊野町の様子。大規模な地滑りが発生し、向かって右下の地域にまで土砂が流れている。ここでは12名もの方が亡くなっており、復旧作業が急がれるところだ。

地滑り対策で仮のフェンスが設置されたとニュースで見たが、あの状況を見たら気休め程度ではないかと思えてくる。向かって左下にはブルーシートがあり、複数箇所で同時多発的に地滑りが発生したものと想像出来る。

押込地区も被害が大きかった。犬の散歩道としても使われる小路でも土砂崩れや地滑りが発生していた。大きな石が複数個、地滑りした地点に留まっており、同様の雨や台風が発生したら新たな被害も発生するかも知れない。

道に沿って土嚢(どのう)が積んである。ナンバリングしてあり、ここでは7番まである。しかし、別の日に別の箇所で見た土嚢には100を超える数字が書かれており、事態の深刻さを物語っていた。

小路には階段が渡されているが、鉄砲水のように土砂が流れたことで、削れたりえぐれたりしている場所が多く見受けられた。階段の修繕までは手が回っていないとのことだ。

元々、階段の横には木が植わっていたそうだが、それらは見事になぎ倒された。木は撤去され別の落ち葉が堆積(たいせき)していたが、これに火が付こうものなら、一帯が大きく延焼するのでは?という声も耳にした。

地滑りで落ちてきた石の影響だろう、金網(フェンス)もなぎ倒されていた。これもまた修繕するところまで手が回っていないのだろう。網の部分から木の枝が伸びているのも危険ではないか。

繰り返しになるが、まだまだ爪痕が残ったままだった。以前の状態に戻すには、相当な時間と費用を必要とするだろう。その間に新たな災害が発生しなければ良いのだが。

この他にも写真には収めていないが、救助にあたろうとして2名の警察官が殉職した川や、1階部分が見事に抜け、たまたま残った柱で何とか2階を支えている民家なども見た。酷すぎるよ、ホント。

それでも、状況を見ておいて良かった。どんな状況であれ、芯や核となる場所には変わりないと分かったから。

だから時々、事あるごとに「(オイラの地元)に居なくてよかったね」「(今暮らす場所)に居てよかったね」と言う相方に強い嫌悪感を抱くのだ。オイラにとっての大災難はこれかも知れない。

今回の豪雨災害で1人、断水が10日ほど続いた友人があったが、大きく体調を崩すことはなく、工夫しながら上手く乗り切ったそうだ。その方以外の広島や岡山に暮らす家族や友人に大きな被害は無かった。

大きな自然災害が発生しにくい広島ゆえ、対応が後手に回ることもあったのだろうと思う。復興もさることながら、この惨状がこの先の教訓としてどう生かされるのかが今後の課題なのだろう。

オイラもゆくゆくは大災難を乗り越えていかないとなぁ。オイラの芯と核が明確になったのであれば、ね。

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