【ふと考えるインターネット活動「引退」の日】 1. 「デジタル遺品」としての価値…かぁ

【ふと考えるインターネット活動「引退」の日】 1. 「デジタル遺品」としての価値…かぁ

人の「死」は色々なことを考えさせる。

誰かが亡くなった際、当人のブログやSNSを通じて「訃報」を目にすることがある。勿論、当人が自身の訃報を綴ることは無いだろうから、家族やスタッフなどが綴るケースが殆どだろう。

明るい気分で見ていたブログやSNSが、一気に闇に包まれる気分になることも少なくない。しかも、生前と同様の雰囲気で更新されることは無いだろう。明るく振り返ることが出来ればだ違うのだろうけど。

近年「デジタル遺品」という言葉を見聞きすることがある。パソコンやスマートフォンなどの端末、更にインターネット上に残された遺品を指している。ブログやSNSへの投稿も「デジタル遺品」になるって訳だ。

デジタル遺品に関する問題は様々挙がっているが、更新されることのないブログやSNSがいつまでもインターネット界に漂流すると考えると、どこかで怖さを感じてしまうのだ。

そもそも、オイラは著名人でも何でもないから、後世に渡って綴ったものを好意的に見て貰えるとは限らない。しかも、それを管理してくれる人も絶えず居るって訳でも無いからなぁ。

オイラも今現在ブログを立ち上げている(現に今まさに更新している)訳だし、SNSも利用しているものがある。ブログやSNSなど、インターネットに残る文字たちは、いつまで生かしておくべきだろうか?

もし、ある程度のところで見切りを付けようってことにするなら、その時期なり手続きなりを考えないといけないだろうなぁ。場合によっては引き継ぎや代替手段もだろうか。

ブログの最期、SNSの最期…かぁ。

しかし、インターネットを通じてやっていることって他にも結構あって、買い物は月に数回発生しているし、銀行との取引も年に数度やっている。連絡手段がEメールのみというケースも少なくない。

これらの活動が直接「デジタル遺品」になることは無いにせよ、紙媒体とは異なる記録として漂う可能性は無きにしもあらず。これらを見切る時ってのは、ほぼほぼインターネット自体を見切る時かも知れないなぁ。

インターネット活動引退の日…かぁ。

考えるにはまだまだ早いのでは?と思われるかも知れないが、全く考えないのもどうかと思うので、良い機会と思って考えてみた。すると、意外な事柄が引退を促すことも見えてきたぞ。

そんな訳で本日も含め5回に渡って、インターネットからの「見切り」について綴ってみることにしよう。すぐの見切りは無いにせよ、どこかでそういう時が来るだろうから。

正しい終焉を辿れたら良いのだけど。