「勇気を貰った」…「勇気」って貰うもんだっけ?

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彼女が遺したものって何だったのだろうか。

6月23日(金)、フリーアナウンサーでタレントの小林麻央さんが他界したとの報道が日本中を駆け巡った。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは記者会見で、麻央さんへの感謝と共に悲しみを打ち明けた。

麻央さんは、がん宣告を受けて以降、ありのままの闘病生活をブログとして綴っていき、生きた証を残すと同時に、自らを鼓舞するところもあった。

イギリス国営放送のBBCは麻央さんのことを「100人の女性(100 Women)」の1人として報じ、「(麻央さんのブログは)個人的な事柄を話さない日本において画期的」と高く評価していた。

34歳という若さゆえに、まだまだこれからだっただろうにと思うところもある。必死なところもあったと思うが、常に前を向き、我が身だけでなく人を思いやった姿は「立派」という言葉だけでは足りないかも知れない。

そんな報道を受けて、多くの方がTVやインターネットなどを通じて思いを言葉にしていたのだが、その中で気になった表現があった。

「勇気を貰った」

今回の件もだけど、高校野球や大学駅伝など学生スポーツの世界でもよく聞かれる言い回しだ。昔からあったものではなくて、近年急速に増えた感もある。

「あの人が偉業を達成した」「あの人はいつも頑張っている」だから「私もやってやろうと思った」「私も大いに見習いたい」…それが集約されて「勇気を貰った」なのだろうねぇ。

でも実際どうなんだろう、「勇気」って「貰うもの」なのかね? 勇気って「出るもの」「湧くもの」じゃないかな? 確かに「勇気づけ(勇気づける)」という表現があるけど、それを「貰う」と言うと安っぽくなるなぁ。

オイラは、これまで「勇気を貰う」という表現に違和感を感じつつも、何故そこまでに至ったのかについて深く考えることは無かった。しかし、2017年4月に、ある読み物を見て納得が出来た。

以前、「消えものギフト」について持論を展開した、中本雅子さん(マサコさん)が自らのメールマガジンで「時代劇であれば絶対にしてはならない言い回し」とした上で、ここまで述べたことと同じ展開で文章を綴っていた。

メールマガジンのバックナンバーが公開されているので、詳しくはこちらをご覧いただくとして、そこでオイラの中でも考え方が整理されていった。物凄く合点がいくものだった。

奇しくも、マサコさんは進行性乳がんを克服した「キャンサーサヴァイヴァー」でもある。変な感情に流されず、冷静に物事を考えている。それ故、オイラにとって大きな気付きとなったのだ。

「勇気を貰った」ではなく、「勇気が湧いてきた」「私も頑張ろうと思った」などというのが本来するべき表現だと思う。今回の麻央さんの件で、改めて考えさせられたなぁ。

麻央さんをはじめ、遺されたご家族などのことを詮索することをヨシと思わないので、これ以上のことは触れないが、麻央さんがこれまで築いてきたものは、これからも人々の心を動かしていくだろう。

どうか安らかに。

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