熊本地震から1ヶ月 ~出来る支援とは何か?を考える~

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2016年4月14日(木) 21時26分。

実は九州全体が大変かと熊本を震央とする最大震度7の地震が起きた。翌々日の16日1時25分も再び最大震度7の地震が起き、被害の大きさは計り知れないものとなっている。被災地の状況を写真や映像で見る限りでも、確実に深刻な影を落としている。

助け合いは大事そこで、被災地を支援しようと様々な動きがある。義援金を送る、物資を送る、被災地で作られた農産物や製品などを買う、実際に被災地でボランティア活動をする…など。オイラは義援金と買い物を支援方法に取った。

支援方法には様々な考え方があると思う。しかし、今回は首をひねるケースを2つ目の当たりにした。今一度「被災地支援」のあり方を考えたい。

ある日のこと、同じ町内の男性が自宅に子ども用紙おむつを持って来た。「被災地の支援物資として預かるもの」とだけ事前に連絡を受けており、ひとまず預かることにした。

その数分後、別の男性も2回に分けて支援物資として非常食やトイレットペーパーなどを持って来た。この男性が来ることは一切知らされていなかったが、先に来た男性から話を聞いて持って来たとのことで預かることにした。

これらの荷物は翌日に被災地に向けて出発する便に載せるとのこと。NPO団体の車だったそうだが、実際に荷物を受け付けて貰おうとすると、紙おむつは断られた。開封した跡があったためだった。

実はこのNPO団体は元々「水とマスク」を支援物資として募集していた。つまり、自宅に持って来られた荷物は全て対象外だったのだ。どういった調整があったのか分からないが、相当な迷惑をかけたことには間違い無い。

当初は預かる段階で事前に経緯や要件などを伝えられなかったことに苛立っていたが、事情が明るみになるにつれ、荷物を持って来た2名にも腹が立ってきた。支援したいのは分かるが、要件は守りなさい、と。

開封した跡がある紙おむつは衛生面を考えると受付不可なのは当然だろう。自転車でやって来る位であれば、近くで要件が合う場所に直接持って行くのが良かったのでは無いだろうか。

これは本当に美味しかったのだがそれから2・3日後、スーパーで熊本県産のナスが手に入った。その日のうちに、既に買っていた鹿児島県産のピーマンと共に揚げ浸しにして美味しくいただいた。スーパーや八百屋では、熊本県産の野菜や果物を幾つか見かけていた。

食事中に農産物などを買って支援する考え方について話をすることがあり、たまたま家にストックがあったので買うのを見送ったが、熊本県産のメロンや柑橘類も見かけたと話した瞬間、唖然とする言葉が返って来た。

「じゃあ、今度、熊本県産のメロンをたくさん買って近所に配ろう」

それ…本当に支援になっているのだろうか? 例えば、近所の方と話し合いをして、そこでメロンを共同購入しようって言うのであれば分かる。今回の揚げ浸しのように、自宅で必要な分を買って自ら食べるってのも分かる。

何故、「近所に配る」なんだろうか…喜んでくださる方もあるかも知れないが、「ありがた迷惑」という言葉通り、対応に苦慮される方もあるかも知れない。貰った物が嫌いってケースもあるだろうし、アレルギー物質である可能性も否定出来ない。

これらの「支援(って言い張りたいもの)」は、かなりの率でエゴが詰まっているように思う。そして、矛先が違っているようにも見えるのだ。全く何もしないよりかは…ってことだろうけど、考えが飛躍しすぎているとしか言いようが無い。

物資を送ったりボランティアに行ったりしたいのであれば、どういった物が本当に必要で、行動として本当に可能なものなのかを考える必要がある。被災地の品物を買いたいのであれば、買った後も責任をもって取り扱う必要がある。

そのように考えると、義援金が最も手軽に行うことが出来、かつ柔軟に役立てられると考えるだろう。しかし、どこに対して送ろうとしているのか、それがどのように役立てられることになるのか…などと言ったことも考える必要がある。

甚大な被害を受けた熊本県も大切だが、大分県などでも被害が大きかったことを考えれば、熊本県以外の地域にも目を向ける必要がある。そして、支援に携わる方や被災地の方を考えた行動が求められるだろう。

被災地支援…東日本大震災も復興には程遠い訳で。

いずれにせよ、「身の丈に合った支援を良識に照らし合わせて行う」のが鉄則なのだろう。個人であれ団体であれ、どんなに支援を求める声があったとしても、変なエゴは求められていない。