「消えものギフト」を贈るという礼儀

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最近読んだブログで「なるほど」と思った文章より。

会社の節目の集まりで記念品を配りたい時、
私がこだわっているのは
「消えもの」であること。
「消えもの」とは文字通り、残らないもの。
例えば花束、お茶、お菓子、入浴剤、石鹸、
体験ギフト(エステやマッサージ券、映画のチケット等)。

「消えもの」と言うと、何か縁起でも無いように聞こえるかも知れないが、この文章にもあるように「形が残らないもの」を指している。それは食料品だったり、消耗品だったり、何かしらの体験だったり。

妙にしっくり来たわ以前から当ブログでも綴っているように、冠婚葬祭でいただくカタログギフトで、米や肉を選ぶケースが多い。先日は珍しく腕時計を貰ったが、腕時計が気に入らなければ、やはり食品を選んでいたと思う。

そこには「不必要なものを貰っても困る」「物によっては何となく気分的に重い」などと言った心理が働いているように思う。カタログギフトと言う「選択権がある」ものだと、その心理が少し和らぐのだ。

そして結局、食品を選んでいる。そんな中で、このブログを読んだ。なるほど、これまで「貰う側」で考えていたが、「贈る側」で考える際にも参考になるな。

この筆者には、こんな想いがあった。文章は次のように続く。

というのは入院中に様々なお見舞いをいただいた。
半年も入院しているとそれは結構な数になり、
退院時はナースステーションでリヤカーを借り
えっさえっさとタクシーに積み込むはめになった。
そして狭い自室に戻ってハタとその始末に困った。。。
特に一番困るのがぬいぐるみ、
その次が立派な額縁に入った絵。。。。
捨てるに忍びなかったが殆どが処理せざるを得なかった。
罪悪感が残ること、このうえなし。。。

実は、この筆者は40代で進行性乳がんにかかり、生死を彷徨った経験がある。その入院時のエピソードがこのブログの軸になっていた。今は再発も無く元気に活動されており、これまでに4回お会いしている。

勿論、贈る側は良かれと思って選んだのだろう。それでも全部が全部残せるものとは限らないのだ。心底欲しかったものなら良いが、本人が欲しがっていたものでは無かったり、趣味に合わなかったり、物理的に置けなかったり。

貰う側も「自分のことを思って」と言う気持ちもあるから、安易に「そんなの要らないわ」なんて突っぱねる訳にも行かない。複雑な想いの中で「処理」という決断をされたのだと想像出来る。

そう考えると、「形が残らないもの」と言う選択は贈る側としても決して間違いでは無いように思えてきた。今まで、プレゼントで色々と「形あるもの」を選んだけど、本当に嬉しいものだったのかなぁ?と思ったり。

相手に希望を聞かずに贈ったものほど…ね。

ただ、「形が残らないもの」であっても、困る困らないは出て来るだろう。ある程度は「わきまえる」ところもある。さぁ、何を選ぼう? 何を買おう? 貰う側のことをあれこれ想像しながら、楽しい悩みを膨らませたりしてね。

※ 今回ご紹介のブログ、全文はこちら

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