東日本大震災から5年、今だから言える怒りの念

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(※ 本記事は実際に起きたことを忠実に綴ったもので、被災された方にとって非常に憤りを感じる箇所もあるかと思う。予めご了承を)

2011年3月11日、とあるコールセンターにて。

笑える神経を疑う当時は広島市内にて契約社員でテレフォンオペレーターとして勤務しており、その日も通常通り業務にあたっていた。基本的には一般客を相手にしていたが、時々、店や外部企業相手に電話をかけることもあった。

14時50分頃、外部企業に電話をかける用事があり、電話をかけてみたが、全くつながらない。そこは東京にあった。「●●(電話しようとしていた企業)に電話がつながりません」と、同じ部署全体に伝わるように報告した。

すると、別の席からも「○○(大阪にある同業他社)にも電話がつながらないです」との報告があった。何か異常事態があったのか?とザワザワしていると、別部署の女性から東日本で大地震があったようだとの情報を得た。

そう、東日本大震災だ。広島市内では揺れを感じることも無ければ記録された数値も無かった。それ故にどのような状況になっているか不安になり、同時に、それを考慮してどんな電話案内が出来るかを考えた。

閲覧制限がある中でも、すぐに社内のパソコンから情報を検索し、頭の中でそれに合わせた電話案内のシナリオも完成させた。最低でも近くの席には得られた情報を共有する体制も作った。

さて、このコールセンターには早番と遅番があり、4グループに分けられ、休憩時間も12時から15時まで1時間刻みで割り振りされていた。

16時になり、15時から休憩を取ったグループが戻ってきた。自分の向かいに座っているグループでもあった。すると、グループの中年女性がこう話を始めた。

「ディズニーランドの中継を見たんだけど、凄かったよ。ねぇ、地面から水がダーダー出るのって、あれ、何って言うんだっけ?」

この女性は自分の斜め向かいに席があったが、自分の隣でかつ、この女性の真向かいに座る若い女性が困った顔をしていた。状況が理解出来なかったのだろう。

「あぁ、液状化現象ですか?」

こちらが助け舟を出した。そう話しながらも、事の重大さが目に浮かび、深刻な事態を迎えていると悟った。同時に、中年女性が何故このような話をヘラヘラとした態度で話せるのかと怒りがこみ上げてきた。

「そう、それそれ、もう凄かったの、水がダーダー出てさぁ、もう、マジ、ウケる~!!」

この瞬間、自分のスイッチが入った。何でこんな状況を笑っていられるんだ!! ちなみにこの女性、あの当時は高校生の子どもが居たと記憶している。

「笑い事じゃないじゃないですか!!」

怒りに声を震わせながら指摘したが、この女性には全く響かない。それどころか、若い女性までもが「わぁ、すごーい」と楽しそうにしている。「いい加減にしろよ」と切り捨てる前に、自分の電話が鳴ってしまった。

声からして電話の相手は高齢の方だったが、一通りの要件を話し終えたところで、「電話がなかなかつながらない」と話していた。すかさず、頭の中で組み立てた案内を実践してみた。

「東日本で大きな地震が発生し、なかなか電話がつながらない状態となっています。お急ぎで無ければ少し時間を置いていただき、どうしてもと仰る場合には災害用伝言板をご活用いただければと思います」

すると、「あぁ、そうなんですね。分かりました」と明るく返され、穏便に終話した。この声を聞いた先の中年女性が驚いた様子でこう聞いてきた。

「え、そんな案内をしてあげないといけないの?」

すぐに「そりゃそうでしょうよ」と告げた。ここできちんと伝えることで、お客様の不安を解消出来るだろうし、場合によっては手間を取らせないことにも繋がるだろう。とんと呆れる方だと分かった。

その方の家が液状化現象に見舞われた際には、是非とも「マジ、ウケる~」と大笑いしてやるべきだろう。高校生にもなる子どもが居てのあの発言は、様々な面で不安を煽るものでもある。

その後、その女性の席にも電話が入るようになり、話をすることは無かったが、その後も口を利く気はしなかった。一緒に話を聞いていた若い女性も、物を知らないとは言え情けなく映った。

数日前に退職を決意し上席には告げていたのだが、この一件があって以降、早く退職日が来ないかと楽しみに待つようになった。その後、自営業へと移り、自分なりだが被災地支援を…と動いたものである。

本当は今もまだ何か出来ないか?と思っていたり。

元々、当該企業の商品を使っておらず、今後も使うつもりは無いと決めた。ただ、その企業の商品を借りた形で2014年2月から使うことになったのは不覚だった。それでも、本契約では無いから、大きく儲けさせる気は今も無い。

便利に使えるものではあるものの、未だにむかっ腹が収まらぬところがあるので、他社の頑張りが欲しいところだ。

あれから5年。自分なり様々な想いや行動を重ねてきたつもりだ。その根底にあるのは、あの日の怒りだ。帰り道に受け取った号外にあった津波の写真は未だに頭を離れない。被災地の復興はまだまだ遠い。

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