「心に残るアマチュアの音楽」と「心に残らないプロの音楽」って

NO IMAGE

やー、これは良いものを見た。

残るものと残らぬもの一昨日のこと、音楽教室を持つ楽器店主催の音楽コンクールを見に行ったのだが、教室に通っている方の演奏力は随分と高かった。特に小学生~高校生には「これだけのことをやって来るか」と感心させられっぱなし。

そこで言えることは「ただ速い」「ただ大きく(高く)鳴らす」って言うのとは違った「聴かせる力」が存在していた。そして、文字通りの「音楽(音を楽しむ)」を実践する方が多かったのも印象的だった。

そう言えば昔、こんなことが。

ある音楽イベントに出演したプロのアーティスト(敢えて名前は出さない)で、40分そこらの持ち時間があったにも関わらず、何にも心に響かない、何にも印象に残らないっていう場面があった。インターネット配信で見ていての話。

静かな音楽だった訳では無い。むしろエレキギターをジャカジャカ鳴らすようなものだった。それなのに、その音が全くもって残らないし思い出せない。歌声もその他の楽器も思い出せない。どんなリズムやMCだったのかも分からない。

多くの場合、「何か同じ歌詞やメロディが繰り返された」「面白い楽器を使っていた」とかありそうなものだし、メロディを完全に覚えないにせよ「明るい曲だった」「テンポの良い曲だった」とかありそうなものだ。

印象ってのは良く残ることもある一方、「何か音が外れている気がする」「すこぶる上手いって訳じゃない」など、悪く残ることもある。それでも「印象」には変わりない。

それがその時は全く無かったのだ。

このような経験は過去に無かったため、自分でも驚いた。「これは果たして『音楽』だろうか?」とさえ思ったほどだ。そのアーティストが漫然と楽器を鳴らし、歌を歌い…と言う状況を表していたのだろう。

それでも「プロ」なんだねぇ…ってことを考えたら、一昨日のコンクールの参加者たちのような気概のある方々が「アマチュア」であることを疑問に思ってしまうわな。しかも、コンクール参加者の持ち時間は10分も無かった筈。

コンクールで演奏された曲は1曲を除いて全くの初めてものばかり。それでも「丁寧に弾いていた」「緩急を上手くコントロールしていた」「自由に楽しんで壇上に立っていた」などの印象はハッキリと残っている。

音楽をやる上で「大人だから(子どもだから)」「プロだから(アマチュアだから)」ってのは無いと確信した。それは「見せる」ではなく「魅せる」である。何も音楽に限らず、他の分野でもこういった状況はあるのだろう。

さてさて、今回のコンクール、参加者のあるものと音楽の性質が面白い位に比例している…と言うか、リンクしていると思う場面が多かった。これはオイラの本業に通ずるところでもあるが。これについては明日のブログで書いてみるか。